【衝撃映像】大雨で増水し、濁流が流れる大河津分水の様子

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濁流が流れる大河津分水 

お盆休み最終日に濁流が流れる大河津分水を目の当たりにしました

今にも川が氾濫しそうで、とても怖かったです

【衝撃映像】濁流が流れて氾濫しそうな大河津分水の様子

お盆休みの最終日、衝撃的な映像を撮影しました。

大雨で信濃川が増水し、濁流が大河津分水に流れ、今にも氾濫しそうになっています。

撮影したのは、お盆休み最終日の8月15日。

家族で美味しい物を食べようと、新潟市内から「魚のアメ横」寺泊魚の市場通りに向かいました。

国道116号線から大河津分水の脇を通り、野積橋を渡って寺泊に行くルートです。

お盆期間中、信濃川の上流である千曲川が流れる長野県で大雨が降りました。

寺泊に向かう途中、「もしかしたら、大河津分水も増水しているかな?」と思いました。

そして、いよいよ大河津分水の土手に来ました。

・・・想像していたより水が多い!

そして、川の水が茶色く濁っている。

下流にある野積橋に向かっていくと、さらに水量が増えて、河川敷の田んぼにも水が上がっている。

「これは大変だぁ」と思いながら、車を運転。

そして、野積橋手前の第二床固のあたりで、上の映像のように、猛烈な勢いで濁流が流れていました。

濁流が流れる大河津分水

第二床固手前の土手で撮影したのですが、ちょっと怖かったです。

ちなみに、普段の第二床固周辺の大河津分水はこんな感じです↓

普段の穏やかな川の流れと違い、吸い込まれそうな濁流に、自然の驚異を感じました。

あなたは知ってました?大河津分水の意外な事実!?

今回、濁流流れる大河津分水を目の当たりにして、改めて大河津分水について知りたくなり、私なりに調べてみました。

そうしたら、知ってるようで知らなかったこと。

生まれた時から存在していたので、何となく身近なものとして考えていましたが、ちゃんと調べてみると、かなり凄いモノであることが分かりました。

調べてみたら、大河津分水って思っていた以上に凄いものでした!

2022年大河津分水は通水100周年を迎えます

大河津分水は人工的に作られた信濃川の分水路です。

それまでに何度か信濃川の分水路を造る計画があったりしましたが、本格工事が始まったのが1909年(明治42年)通水したのが1922年(大正11年)。

足かけ13年に渡る大規模な工事で、当時「東洋一の大工事」「東洋のパナマ運河」と呼ばれ、来年2022年は通水100周年となります。

河口に向かって川幅が狭くなるのは理由があった!大河津分水の全長と川幅は?

長岡市中之島で分水され、全長9.1キロ。

分流付近の川幅は720メートル。

それに対し、河口付近の川幅は180メートル。

大河津分水の地図

通常は、河口に向かって川幅が広くなるものですが、大河津分水は逆。

河口に向かって川幅が狭くなっています。

また、急勾配になるように設計されています。

これは、河口に向かって川幅を狭めることにより、また急勾配にする事によって、洪水時に川の流速を早めて、より多くの水を海に流すためです。

そもそも、なぜ、信濃川の分水路を作ったの?

そもそも、なんで大河津分水を造ったの?

大河津分水を造ろうとしたきっかけは以下の通りです。

長野県を流れる千曲川が、新潟県に入ると名前を信濃川と呼び名が変わり、越後平野を流れています。

新潟の地形の特徴として、日本海沿岸には弥彦山、角田山などの丘陵地帯や砂丘地帯があります。

丘陵地帯や砂丘地帯があることで、信濃川の水が日本海に流れ出ることができず、越後平野を蛇行して流れ、たびたび洪水が発生し、その度に甚大な被害を受けていました。

洪水による水害をなくすために、大河津分水は造られました。

じつは古い!大河津分水の工事計画

古くは16世紀末頃(安土桃山時代!)から、信濃川の分水路工事をしていましたが、完成には至らず。

江戸時代、明治維新後にも工事計画を嘆願するものの、技術的な問題、財政不足、反対派の一揆等により本格的な工事着工できませんでした。

そうして、ようやく工事が始まったのが、1869年(明治2年)。

明治政府が、工事を進めました。

しかし、通水目前の1875年(明治8年)、明治政府が雇っていた外国人技師から以下の報告がありました。

分水路を完成させることで信濃川の水量が減りマース。

そうすると、新潟港の水深が浅くなりマース

新潟港の船の航行に大きな影響がありマース

という報告があり、明治政府は通水直前で大河津分水計画は廃止にし、堤防強化をする方向で洪水対策をしました。

工事計画の見直しのきっかけ!甚大な被害をもたらした横田切れ

通水直前で中止になった大河津分水計画。

それでもなお、地元住民は分水路の必要性を訴えました。

しかし、明治政府は堤防強化で洪水対策をしようと勧めます。

そんな中、分水路工事を着工するきっかけとなる出来事が起きます。

1896年(明治29年)に発生した「横田切れ」です。

これは現在の燕市横田(下の地図の赤囲みの辺り)で発生した、信濃川堤防決壊による大洪水で、かつてない甚大な被害をもたらしました。

この横田切れをきっかけに、明治政府は工事計画を見直し、1909年(明治42年)に大河津分水の工事を始め、1922年(大正11年)、ついに通水しました。

大河津分水の工事の様子

大河津分水の事を調べてみた感想

今回、きっかけは大雨による増水でしたが、改めて、大河津分水の事を調べれば調べるほど、新潟の歴史と切っても切れないものであると感じました。

洪水による多くの水害のうえに造られたものであり、それは当時の方達が、私たち「後世の人間が困らないように」との願いから生まれたものであると思いました。

そのお陰で、現在平和に生活することができ、先達への感謝の意を感じずにいられません。

現在行っている工事は、野積橋の架け替え工事をしています!

大河津分水の河口、寺泊に行く時に通る野積橋(全長211メートル)

最近、通ったことがある方なら分かると思いますが、大掛かりな工事をしていますよね。

あれは、野積橋の架け替え工事です。

今よりも、さらに海に近くなり、橋の長さも長くなります。

詳しい工事の内容や、大河津分水の歴史について学べる資料館として、野積橋手前に2020年にオープンした、にとこみえーる館は是非一度立ち寄っていただきたいスポットです↓

にとこみえーる館

新しい橋には遊歩道も設けられると聞いていますので、新野積橋が完成したら、その上をジョギングしてみたいですね(^^)

【おまけ】大河津分水周辺オススメの温泉宿

大河津分水周辺には、日本海が一望でき、魚が美味しい寺泊、弥彦神社周辺の弥彦温泉、岩室温泉など素晴らしい温泉宿・ホテルがたくさんあります。

その中でも子供連れで宿泊するなら、特に私がオススメしたいのは「岩室温泉のほてる大橋館の湯」さんです↓

ほてる大橋館の湯さんのホームページはこちら

おススメする理由は3つ

①宿泊料金が安い!それなのに、料理が豪華すぎます
②身体の芯まで温まる!岩室温泉は名湯です
③広い館内!子供が飽きない施設です

 

 

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